主演 真田広之 脚本 池端俊策 大河ドラマ「太平記」の時代 鎌倉幕府滅亡から観応の擾乱

太平記大河ドラマ

吉川英治の原作「私本太平記」を元に南北朝時代を池端俊策らの脚本でドラマ化。

人気作となった1991年放送第29作「太平記

鎌倉幕府を滅亡に導き、その後の後醍醐天皇建武の新政に背いて室町幕府の初代将軍となった足利尊氏の波乱の生涯を描いています。

歴史上有名な楠木正成(くすのきまさしげ)や新田義貞(にったよしさだ)に加えて、尊氏の弟の直義(ただよし)、尊氏の落胤直冬(ただふゆ)といった実在した人物に架空の「花夜叉一座」という旅の田楽一座がからみ、ドラマとしてわかりやすく物語が展開していきます。

また、尊氏を生涯支え続けた一色右馬介も光ります。

前半は鎌倉幕府の滅亡から建武の新政、後半は観応の擾乱(尊氏と直義の兄弟喧嘩)と2つの大きな山場がありました。

主演は真田広之 大河ドラマ「太平記」

平均視聴率26.0%、最高視聴率34.6%と高視聴率を記録した人気作です。雅楽で始まり時代感と躍動感のあふれる壮大なオープニング。

当時のトレンディドラマで活躍していた若手俳優に人気絶頂の美少女達を見事に配役し、「トレンディ大河」といわれました。

しかし、この配役が耳に馴染みのない、歴史上に実在した人物(架空の役もあり)に上手くマッチして多くのはまり役を生み出しました。

原作の硬派な内容の面白さが、見応えのある内容の脚本と配役で大河ドラマの人気作となりました。

主なキャスティング

  • 足利尊氏   真田広之
  • 足利直義   高嶋政伸
  • 足利貞氏   緒形拳
  • 足利直冬   筒井道隆
  • 赤橋登子   沢口靖子
  • 上杉清子   藤村志保
  • 一色右馬介  大地康雄
  • 高師直    柄本明
  • 後醍醐天皇  片岡孝夫
  • 護良親王   堤大二郎
  • 楠木正成   武田鉄矢
  • 新田義貞   萩原健一→根津甚八
  • 佐々木道誉  陣内孝則
  • 花夜叉    樋口可南子
  • 藤夜叉    宮沢りえ
  • 猿の石    柳葉敏郎
  • 北畠親房   近藤正臣
  • 北畠顕家   後藤久美子
  • 北条高時   片岡鶴太郎
  • 日野俊基   榎木孝明
  • 千種忠顕   本木雅弘
  • 赤橋守時   勝野洋
  • 長崎円喜   フランキー堺
  • 金沢貞顕   児玉清

旅の芸能一座「花夜叉一座」

ほぼ全編をに渡って戦の場面が多いですが架空の「花夜叉一座」が要所に絡み、物語をわかりやすく進めています。

設定も面白く、花夜叉(樋口可南子)は楠木正成の妹、花夜叉一座の一員、藤夜叉(宮沢りえ)は尊氏の恋人で直冬の生母という設定。

物語後半、尊氏と直義の確執。それに絡む一色右馬介と藤夜叉,直冬の運命は悲劇的で、尊氏の嫡男、二代将軍となる足利義詮(あしかがよしあきら)の裏で、悲運の直冬の存在があった事を見事に表現しました。

鎌倉幕府の滅亡

物語の前半は、鎌倉幕府の実権を握る北条氏と足利氏の関係から始まります。「太平記」ではフィクションもありますが、史実にのっとった戦乱や人物が豊富に描かれています。

史実に見る鎌倉幕府滅亡の流れを見ていきます。

後醍醐天皇の倒幕計画

鎌倉時代の後期、朝廷では皇位継承権を巡って持明院統(北朝)と大覚寺統(南朝)が対立し、鎌倉幕府の調停によって交代で皇位を継承することになっていました。

1318年、大覚寺統の後醍醐天皇が即位します。天皇親政を目指した後醍醐天皇は自身の皇子に皇位を継承させようと望み、鎌倉幕府の打倒を画策します。

しかし1324年、天皇の倒幕計画は事前に鎌倉幕府の京都の出先機関である六波羅探題に発覚し、罪を被った側近の日野資朝(ひのすけとも)が流罪に処されます。(正中の変

その後、後醍醐天皇は再び護良親王らと倒幕を企て、楠木正成もこれに応じて挙兵します。しかし笠置山の戦いで幕府側に敗れて失脚すると、幕府は北朝の光厳天皇を即位させ、後醍醐天皇は隠岐島へ流されます。楠木正成、護良親王らは逃走に成功しますが側近の日野俊基らは処刑されました。(元弘の変

1333年、楠木正成と護良親王が再挙兵、後醍醐天皇は隠岐島を脱出し、伯耆の豪族、名和長年に迎えられて船上山で挙兵します。

後醍醐天皇、護良親王は倒幕を促す命令を全国に発します。

鎌倉幕府側について倒幕軍の追討の任について上洛した足利尊氏は幕府への反乱を決め、京都の六波羅探題を滅ぼします。

関東では新田義貞が倒幕に応じて挙兵し、鎌倉に向けて攻め上り、各地で幕府軍を破ると北条一族と重臣を鎌倉の東勝寺に追い詰めます。

追い詰められた北条高時ら幕府の重臣達は集団で自害して果て鎌倉は陥落。鎌倉幕府は滅亡しました。

建武の新政と南北朝時代

これによって後醍醐天皇は京都に復帰し、建武の新政が始まります。

しかし、後醍醐天皇の建武の新政は、尊氏は参加せず、極端な政策や論功行賞に武士の不満が高まり、後醍醐天皇と足利尊氏は対立、やがて尊氏は入京し、北朝の光明天皇を擁立して征夷大将軍となり、武家政権(室町幕府)を樹立します。

後醍醐天皇のもとで尊氏と戦っていた新田義貞、楠木正成は湊川の戦いで敗北、後醍醐天皇は京を離れ、吉野に自らの朝廷を開き(南朝)南北朝時代が始まります。

この北朝と南朝の並立は三種の神器もからみ、複雑なものとなっていきます。

しかし南朝の有力武将、北畠顕家、新田義貞らが相次いで討ち死にし、やがて後醍醐天皇が没すると側近の北畠親房(顕家の父)が南朝を主導していくようになります。

観応の擾乱(かんのうのじょうらん)

室町幕府の初代将軍となった足利尊氏と弟の直義が仲違いして南朝と北朝を巻き込んだ大規模な抗争に発展していきます。

「両将軍」といわれた足利直義

尊氏の同母弟(母は上杉清子)直義は兄の尊氏と供に鎌倉幕府打倒の際に六波羅探題を滅ぼします。

後醍醐天皇の建武の新政では後醍醐天皇の皇子、成良親王の関東統治に従って鎌倉に入り、後の室町幕府の鎌倉府の基礎をつくります。

やがて尊氏が征夷大将軍となると尊氏は軍事指揮権をもち、御家人の統治にあたります。

直義は所領関係の裁判権などの政務担当と、明確に役割分担がされ、感情の起伏が激しい尊氏と冷静沈着な直義は、お互いの長所を生かし「両将軍」といわれました。

足利家の執事 高師直

しかし、挙兵の際から足利家の執事として尊氏を支え、武将としても数々の戦功を挙げてきた高師直(こうのもろなお)と直義は政治的に対立するようになります。

この頃の尊氏は後醍醐天皇に背いたことを悔やみ、師直に軍事面を任せ、隠居状態にありました。

南朝との戦いで武功を挙げた師直の率いていた軍は、畿内が落ち着くと秩序を乱す行いが目立ち始め、直義は厳しく処断します。

やがて直義は側近の上杉重能らの進言をいれて師直の悪事を糾弾し、尊氏に高師直の執事職の罷免を求め、師直を失脚させます。

しかし師直はクーデターによって直義を追い落とし、直義は尊氏のもとに逃げ込み、出家して幕政から退きます。

直義の側近(上杉重能、畠山直宗)は流罪となり流罪先で師直の配下に暗殺されてしまいます。

直義が失脚したことで尊氏の嫡男、足利義詮(よしあきら)が鎌倉から京都に呼び戻されて政務をみるようになり、関東は義詮の弟、基氏(もとうじ)が鎌倉公方となって治めるようになります。

尊氏は直義と師直に対して立場をはっきりさせず揺れ動き、優柔不断な態度をとっていました。

尊氏の落胤 足利義冬

直義には実子がなかった為、尊氏の落胤、直冬を養子に貰い受けていました。直冬は実父である尊氏に問題児扱いされて対面を許されず、認知されませんでした。

直冬は養父の直義の推挙で、南朝討伐軍の大将として各地を転戦し戦功をたてます。

しかし、尊氏は直冬に冷たい態度をとり、直冬は京を遠ざけられ、西国を統括する長門探題に任命されます。

のちに直義が失脚したのを知り、中国地方の兵を集めて直義の味方をするために上洛しようとしますが、尊氏から討伐令を受けた高師直に阻止され、九州に落ち延びます。

九州で地盤を固め直した直冬は、九州の大友氏らの助力をへて勢力を拡大させ南朝と協調して尊氏と対立し、尊氏は自ら直冬討伐に乗り出します。

尊氏と直義の対立と決着

尊氏が師直を伴って直冬討伐に奔走している最中、直義は京都を出奔し、大和に入って南朝に降り、義詮を補佐して幕政の実権を握る高師直討伐を呼びかけ、師直に反感をもっていた武将を集め決起します。京都の北朝はこれに対して直義追討令を出します。

南朝に属した直義軍は京都に進撃すると、京にいた足利義詮は、尊氏の元に落ち延びます。

尊氏も京都を目指しますが尊氏方は直義軍に相次いで敗北、尊氏は惨敗し、高師直の出家を条件に直義と和睦を図ります。

しかし高師直は尊氏のもとから京都への護送中に、摂津で待ち受けていた師直に恨みを持つ直義方の上杉能憲(師直に暗殺された上杉重能の養子)らの軍勢に一族と共に殺害されました。

高師直を排除した直義は幕政の主導権を奪回し、義詮の補佐として政務に復帰します。直冬は九州探題に任じられました。

しかし、尊氏と直義の仲は良くならず、尊氏父子は南朝と和議を結び、反直義の態勢を整え、直義追討令を出してもらいます。

この和議の条件によって北朝は南朝に政権を返上します。

これに対して直義は自派の武将を伴って京都を脱して鎌倉を拠点に反尊氏勢力を集め対抗します。

しかし追討令をもって京都を発した尊氏方に敗北し、鎌倉に入った尊氏に直義は降伏します。

この後、直義は幽閉され、まもなく急死しました。「太平記」では尊氏による毒殺とされています。

九州において孤立した直冬は、その後も尊氏方と争いますが敗北し、直冬勢は崩壊、直冬は消息不明となったとされています。

こうして尊氏と直義の対立で起きた戦乱は決着しますが、やがて尊氏が亡くなり、二代将軍となった義詮は幕府の権力を強化していきますが騒乱は絶えず、三代将軍義満の代になって幕府の体制は強固になり、南北朝が合体し室町幕府は最盛期を迎えます。

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「太平記」の世界

史実や逸話をみると尊氏が幕府を開くいきさつや、弟の直義と対立する際に北朝と南朝がからみ、政治的に複雑です。

しかし、主演の真田広之の躍動感あふれる尊氏の演技と、北条高時、佐々木道誉、後醍醐天皇、高師直といった癖の強い登場人物を、片岡鶴太郎、陣内孝則、片岡孝夫、柄本明といった適役が支え、見応えのある物語展開になりました。また、華やかな若手女性陣も、それぞれ適役で華を添えています。

物語中盤の鎌倉炎上は集団自決のリアルにせまった名場面です。

個性的な脇役達も、それぞれの死に至る伏線もしっかり描かれており無駄な場面がありません。

戦国時代や幕末を取り上げる事の多い大河ドラマですが「太平記」放送から30年たった今、現代版リメイクで見てみたいものです。

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